■ 私の歩んだ老人医療 その4

 当時の札幌医大第三内科では一年目の医師に他科ローテーションを課していました。私は、病理、対がん協会などで呼吸器以外の少々の経験をしていました。この病院に勤務して少したったころ、放射線技師が胃のバリウムを撮れるかどうか尋ねて来ました。私は多少の経験をしていたので、できると答えると、では実際に患者様をリストアップしてやってみろとの事でした。私は消化器の症状のあるなしに関わらず、何人かをリストアップし、実際に撮影をしました。これはどうやら私の実力を試しているのだと気がつきましたが、何人かの撮影が終わるころに、この技師に「先生は撮影できるんだね」と言われ、それ以上の要求はありませんでした。ここでも、この検査の必要性を患者様に説明した覚えはありません。入院しているのだから検査するのは当たり前であり、医師の裁量だと言うような思い上がった状態だったと思います。その後、別の検査技師から血液検査についていくつか尋ねられました。これも、私の知識を試していたようで、検査技師は「大川先生はまだまだだ」と言っていたようです。確かに卒業2年目の医者は知識も経験も大いに足りません。そんな自分にひとつの病棟を任せるのですから、院長も思い切ったことをしていたと思います。

 民間病院に勤務すると、経営についての知識が自然と増えてきます。一ヶ月間の医療や看護行為をお金に換算し、保険側に支払いを要求する書類、いわゆるレセプトというものがあります。つまり医療の請求書のようなものです。今では、老人医療はほとんどが「包括払い」と呼ばれ、一つ一つの医療行為に関わらず一定の金額が請求され、支払われていますが、当時はいわゆる「出来高払い」であり、実際の医療行為一つ一つに基づき請求していました。つまり、湿布をはっていくら、血液検査をしていくら、リハビリをしていくらというものです。この出来高ですと、同じように入院しているのなら、より多くの診療行為や検査があったほうが、レセプトの金額が上がります。つまり、いわゆる「売り上げ」につながるわけです。当時、大きな病気をお持ちでない患者様の一月間の入院では、レセプト金額上は30万円に達しないことがほとんどでした。この30万円という額がひとつのラインで、いかにこれを超えるようにしてゆくかが、経営者や担当医師の手腕でした。毎月のように、自分の担当病棟の診療報酬(売り上げ)が発表されますから、変なようですが収益に貢献できない医師の肩身は狭くなります。私は、月2回の定期採血、定期的なCT検査、点滴、抗生物質の使用、特別食の処方、内服薬の処方などである程度のレベルに達することがわかり、そのように診療してゆく医師になってゆきました。
私自身の、生来の負けず嫌いの性格や、一番になりたいプライドなどもあいまって、その病院での一番の稼ぎ手になるまで、そう時間はかからなかったように覚えています。

 今から思うと、この時期の自分について反省することばかりです。患者様を大切にするどころか、必要性の薄い検査や点滴で、ひたすらコストをあげていました。そんな時、厚生省の医療監視があるとのことでした。これが、大変なことだとは経験してわかりました。

2003/10/06(Mon) 18:40