■ 私の歩んだ老人医療 その15

 ケアミックスへの移行は無事認可を受けました。その結果、収入が大幅にアップしたことは事実です。また、同時にいわゆる“お世話料”も徴収することにしました。このお世話料というものは、老人病院によく見られるもので、十分な人手を確保して良質な介護を提供するには、診療報酬ではまかないきれないために発生したものです。診療報酬は全国一律(地域加算というものはありますが、わずかなものです)です。しかし土地代や人件費は地域格差が大きいものです。したがって、都会になればなるほど収入が相対的に不足します。また、患者様の中には多少お金が多くかかってもかまわないから、入院させてほしいという要求もあります。旭川の病院でもお世話料の負担のために退院した患者様はほとんどいませんでした。お世話料は、保険外負担金というように言い換えられています。それは、テレビ、冷蔵庫、電話などの使用料という名目になってはいますが、おおむね一律であり医療機関の経営になくてはならない収入になっています。
医療病棟では、寝たきりの患者様がほとんどを占めており、経鼻栄養と中心静脈栄養を合わせるとおよそ8割になっていたと思います。肺炎をはじめとする感染症と褥瘡(床ずれ)の管理が一日の仕事の大半でした。抗生物質の投与と点滴内容の変更や検討、採血やレントゲン検査の指示を一通りだし、その合間をぬって外来を診ていました。
医療病棟は出来高制なので、薬剤の使用量もかなりに上っていました。当時は薬価差益が10%以上ありましたので、薬品メーカーや問屋との交渉も仕事のうちでした。メーカーのセールスマンはプロパーと呼ばれていた時代で、途中からMRと呼び名が変わっていた頃でした。問屋の担当者もMSと呼ぶようになりました。MRから頼まれて月末に多くの薬剤を購入したり、薬価差益のある薬剤を優先的に使用したり、食事の接待を受けたりと、ずいぶん社会勉強させてもらいました。彼らは私が旭川を離れるときには、お別れの食事会を企画してくれたりしました。無論、このようなお付き合いの是非はあるでしょうが、私にとっては薬品メーカーや問屋のあり方を学ぶいい機会でした。院長という立場は、諸々の決定権を一手に握っているため、それを自分の利益や快楽のために使うか、そうしないかは個人のモラルが問われるところです。今の私はこのような接待はすべてお断りしていますし、またメーカーもそんなことに当時のようにお金をかけていられる時代ではなくなってきています。老人医療に出来高制がなくなり、定額の診療報酬になったため、薬剤使用量も驚くほど減少しています。かといって、患者様の状態が過去に比べ悪化していることも見られません。あの頃大量に使用していた薬剤は、結局必要以上だったのでしょうか。そうかもしれません。ただ言える事は、そのような治療をした自分を振り返ったうえで、今の自分の診療スタイルがあるということです。大量の第3世代抗生物質の使用がMRSAの蔓延を招いたことも事実です。その片棒を担いでいた私の反省の上に立ち、今の病院を運営しています。

2004/07/06(Tue)15:54