■ 私の歩んだ老人医療 その13

 賃貸での病院開設が決まりましたが、問題はスペースです。賃貸物件は90床の急性期病院で、こちらは130床あまりの老人病院。さらに設備としてリハビリ室、談話室なども用意しなければなりません。お風呂も介助浴槽が必要ですし、トイレもいわゆる身障者用になります。物件をそのまま使用することは難しく、大幅な改築が必要でした。建物は4階建てでしたが、おのおのの階の広さもまちまちで病床数をどう割り振るかにも頭を悩ませました。なんども図面を引きなおし最終的に改築プランが決まったのは平成5年の初めだったと思います。

 この間、自分の職場にも変化が訪れました。この賃貸物件の大家は、急性期の専門医師だったのです。その医師は小樽市をはじめとしていくつかの病院を経営していて、その中に旭川市にある200床弱の老人病院がありました。彼は私にそこで働かないかと誘ってきました。話を聞いてみると、そこの院長としての誘いでした。私は約5年間お世話になった病院には愛着もありましたし、まだなすべきこともありました。その一方、再び院長の仕事を引き受けることは、将来の自分の病院経営に役立つという思いもありました。結局、平成4年の12月に札幌の病院を退職し、旭川の地に赴きました。私は医局に属した時期が短く、いわゆるローテーションを経験していません。すぐに札幌の老人病院に勤務したため、生まれた地を離れるのは初めてのことでした。引越しの日に荷物が出たのを見送って、車で約2時間ほどの旭川の病院に向かいました。病院に着くと、すぐにあちらの医師に紹介されました。その席上で、それまで院長を務めていた医師が体調を整えるためすぐにでも休暇に入ること、したがって私は引継ぎもそぞろに院長に就任しなければならないことを伝えられました。他の医師は2名。内科医は私だけになってしまいました。不安な気持ちがよぎりました。荷解きもそこそこに次の日から勤務です。幸いあまり外来が忙しくなかったので、まず病棟に専念できました。そこの病院はまだ付き添い制度で、彼女らのおかげでにぎやかな雰囲気でした。しかし、以前にも述べましたが、老人病院での付き添いは消えてゆく運命にありました。そのほか、あちらこちらに老人病院として必要な機能が備わっておらず、私は雇われの身ではありましたが、何とか病院を改善しようという気持ちになってゆきました。

 この病院には約4年間勤務しました。私の予想では平成5,6年ぐらいには小樽に戻るはずだったのですが、さまざまな事情で平成8年の春まで旭川にいることになってしまいました。

2004/05/14(Fri) 18:27