■ 私の歩んだ老人医療 その12

 平成4年の春に後志地区に開設可能病床が残っていたのは、実はすでに開設の許可を取っていた110床ほどの急性期病院の計画が頓挫し、その分だけ空床扱いになっていたためでした。しかし、この空いた病床は平成5年度からの必要病床数の見直しでは廃止されることになっていました。したがって、なんとしてでも平成5年の3月までに病院としての開設申請を終えなければなりません。当時の私には土地の手がかりも、ましてや資金の手がかりもありません。100床を超える病院を建築するために必要なノウハウも持っていません。そこで、ある方の紹介で医療コンサルタントに依頼しました。そこは、小規模な会社でしたが、はじめから親身になって相談に乗ってくださり、ゼネコンに引き合わせてくれました。土地探しのなかで、ある方が山の中腹に4千坪ほどの安い物件がある、老人病院にはうってつけの環境の良い土地だ、と紹介してくれました。見に行ってみると、小樽の海も見え静かなところでしたが、市の中心からは離れていて、また半分は斜面の土地で使い勝手が悪そうでした。ただし、格安だったことは事実でした。私は、それまでの老人病院が環境がいいということを売り物に、比較的郊外に建てられていた理由が理解できたと思いました。つまり、土地代金が安いほうが経営には有利なわけで、老人病院は入院を中心に運営すればいいので、外来の便も考えなくて済むわけです。環境云々はたしかに重要なことかもしれませんが、むしろお見舞いに来られるご家族にとっては、不便になってしまうのです。また、老人は都会から離れたところで療養すればいいという考えは、ある種の隔離を推進しているようで、自分には到底なじめないものでした。

 私は、天本病院がそうであるように都会の中にこそ老人病院が必要で、そこで地域の中で共に生きてゆくような施設にしたいと、この経験を通して学びました。医療施設はともすれば医療をする側の論理で建てられ運営されています。老人は環境のいい山の中や郊外でなければならないとは、はたして入院されている患者様が望んだのでしょうか。むしろ、自宅から遠いところに入院すると聞いただけで、家族から離されてしまうとの思いを強くするのではないでしょうか。

 しかし、当時、市の中心部には手ごろな土地も見つかりませんでした。病院開設申請には病院の建設予定地を明らかにしなければなりません。そんなとき、ゼネコンがびっくりするような提案をしてきました。彼らのお付き合いのある、90床ほどの専門病院が手狭になってきて移転を考えている。さらに、移転した後に今の建物を賃貸してもいいというものでした。賃貸を条件に開設申請を出すことに問題はありません。そこで、まず賃貸での開設を考え始めました。

2004/04/26(Mon) 16:04