| ■ 私の歩んだ老人医療 その11
出来高制の老人病院でいわゆる売り上げを伸ばすには、薬剤と検査が両輪でした。もともと、老人病院に入院している患者様の診療報酬は一般病院に比べ低く設定されていました。それは、医師や看護師の数が少なくてもいいような認可になっていたからでもあります。この制度は、特例許可と呼ばれ療養型の制度ができるまで存続していました。読んで字のごとく、特例で許可されていた医療施設です。つまり、当時の老人病院は制度的にも日本の医療制度の片隅にあるような存在だったともいえます。今だからこそ、高齢者医療の重要性が叫ばれていますし、マスコミには毎日のように介護関係の記事が載っています。しかし、以前にも書きましたが、その当時の老人病院は「儲け主義」であり「たいした病気でもない老人を収容しておく」施設だったのです。「悪徳」と呼ばれる病院が多かったのも事実です。
「老人の専門医療を考える会」は、その頃に老人医療の向上や社会的認知などを目指してできた会です。後にその会が中心となり、また牽引車となり、今のような老人医療の枠組みが作られたのです。そんなことも知らない私は、コスト稼ぎからの転換を、天本先生の記事だけを頼りに自分なりに考え始めていました。しかし、自分ひとりの力ではどうにもできない現実があったことも事実です。私は次第に自分で理想とする病院を作らなければならないとの思いを持つようになりました。
そんな話を知り合いの人などに、控えめに話し始めていました。ある日、知り合いの理学療法士の先生がおみえになり、突然「小樽方面に空いている病床があるらしい。病院をやってみてはどうですか」と切り出されました。一瞬の迷いはありましたが、「そうですね、やってみたいです」と答えていました。自分に自信も、スタッフも、もちろんお金もなかった割には気軽に答えてしまい、後から大丈夫かと自問自答の毎日になりましたが、何とか自分の理想とする老人病院を作りたいという気持ちに支えられ、計画をスタートさせました。 といっても、何からはじめたらいいのか、何をどう考えたらいいのかもわからないまま周りでは事が進行し始めていました。
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