■ 私の歩んだ老人医療 その7

 2度目の監査は、北海道の社会保険担当者が中心になって来たように覚えています。厚生省は2回目には来ていませんでした。担当医師は半日ぐらいかかって、カルテやその他の診療状況を検討し、いくつかの細かな点の補正を指示したりしてくれ、おおむね好意的にまた教育的に接してくれました。その結果、前回に比較して大きな問題は改善されているとの講評をいただきました。私は当日の朝までの数日間、カルテの検証などのためにほとんど徹夜状態でしたので、監査が終わった夕方には、ほっとしたのと睡眠不足から知らず知らずのうちに事務室で寝てしまっていました。自宅まで車で送ってもらったことは覚えていますが、その後のことは記憶にありません。

 とりあえず、大きな課題を解決できましたが、自分の気持ちの中に次は何をどうしてゆくのか、迷いが生まれてきました。コスト稼ぎのような老人医療には戻りたくない、けれども何をどのように考えて老人医療をさらに進めてゆけばいいのか、自分の中に答えが見出せない状態でした。ちょうどそんな時、日経メディカルという月刊誌に、多摩市の天本病院の理事長、天本宏先生の特集がありました。天本病院は老人病院の草分けのような存在で、かつ指導的な立場で老人医療界をリードしていました。記事の中で、天本先生は「老人医療はキュア(治療)よりもケア(看護や介護)が重要である」とか「予防的な老人医療の必要性」を述べていました。キュアよりケアという言葉に巡り会ったとき、私はそこに新しい光を見いだしたように思いました。今まで、点滴や検査など、医師として急性期の延長上でしか老人医療をとらえることができなかった自分に、まったく新しいものの見方が生まれました。こちらが治療するのだという観念にとらわれていた自分に、治療も大切だが老人患者様一人一人の人格や尊厳を重視した医療、言い換えれば患者様の側からみて適切な医療や看護・介護を提供するのが老人病院の使命であると思いはじめました。

 さっそく、各病棟の婦長たちに、まず患者様のケアを大事に考えてゆこうと話しました。売上最優先ではなく、患者様中心に考えてみようと話しました。しかし、この方向転換ともいえる私の姿勢に、戸惑いも多く猛反発されたことも事実です。ある婦長は、「院長はコストはどうでもいいから、患者の顔を毎朝きれいにしろと言っている」とスタッフに話したり、さらには、理事長や事務長に「稼ぐよりも、患者のお世話をしろ」と院長は言って歩いていると進言した婦長もいました。確かに、今まで病院で一番稼ぐことのできた医師が、180度の方向転換とも思われることを、しかも院長としてやり始めようとしていたのですから、反発は仕方のないことでした。私は、年間の売上目標は十分達成できているのだから、自分の信じるこれからの老人医療のありかたにむかって一歩を踏み出させて欲しいと願っていました。しかし、経営陣はそうは思っていなかったのです。

 ある日の朝、突然理事会に呼ばれ、その場で「院長を降りてもらい副院長に降格する、また、担当病棟も減らす」と理事長や事務長から通達されました。理事会は私もメンバーでしたが、結局多数決でそのようになってしまいました。あまりに突然のことで、しばらくはどうしていいものかわかりません。しかし、業務命令ですから従わなければなりません。給料は院長のときと同じ様にするとのことでしたが、その他の一切の権限はなくなります。つまり、考えていた病院の方向転換などはできないことになります。自分は、地位を失うことよりも、病院のせっかくの転換期を逃すことに、将来の不安を感じました。結局、数日後に朝礼で院長辞任の挨拶をしました。これは平成のはじめのころのことでした。

2003/12/04(Thu) 13:15