| ■ 私の歩んだ老人医療 その6
厚生省による監査は、結果として診療報酬の低下を招きました。私も、検査ひとつにしても以前よりも慎重に出すようになりました。確かに、コスト(売上)のアップを先に考える傾向には多少歯止めがかかりましたが、それでは病院の経営に影響が大きすぎるとも聞かされていました。結局、もともとの診療報酬の額を確保する方向になってゆきました。
そんなときに、私に院長職をひきうけてくれないかとの打診が理事長からありました。その病院ではそれまでは理事長と院長を兼任していたのですが、これを分離するとのことでした。そのころは、医療法人の理事長は医師でなければならなかったので、院長を兼任してもなんら問題はなかったのです。(現在は必ずしも医師である必要はありません)さらに、一連の監査などへの対応のためにも院長を私に、とのことでした。それまでの少ない経験からでも、老人医療や経営について自分なりの考えを持ち始めてきたころだったので、あまり深刻なこととは受けとめず、院長就任を受諾しました。そのころには、受け持ち病棟の数も増えてきていて、院長職についてからは3つの病棟、約120名の受け持ちになっていたように覚えています。一日のうちにそんなに多くの患者様を、じっくりと診察したり回診したりすることは、ほぼ不可能に近いことでしたが、当時は若さに任せて、何とか必要な指示や検査をこなすことができたようです。
あのころの自分が行っていた医療を思い出すと、まず中心静脈カテーテルを用いて栄養を水の形で補給していた方々が、最多で7、80名いたと思います。全患者数は240名ほどでしたから、3人に一人は点滴です。しかも食事をすることができないのです。今なら、チューブを使い鼻や胃から直接に食物様のものを与えることが当たり前になっていますが、当時は食べられなくなったらすぐ中心静脈栄養にしていました。この栄養法の最大の問題点は、栄養の形態が水分であることにあります。しかも、胃や腸を使わない栄養補給です。人間にとってこれは自然のありかたに反するものであることは、推察できると思います。最近は、点滴内容の研究が進み、いわゆる微量元素の補給もできるようになっていますが、当時はそれも試験的に行っていた段階でした。しかし、いくら水分のなかに必要な成分を十分に入れても、消化管から栄養を吸収して得られるメリットを超えることはできません。また、24時間点滴のチューブが体についているので、それをはずそうとしたりすることもあります。そうすると、医療側は事故につながるので、手足を縛ろうとします。これは抑制と呼ばれ、今は廃止しようとしていますが、当事は当たり前のようになされていたことでした。患者様が少しでも食べようとしても、ベッドの上で点滴を一日中されていたら、しだいに動けなくなり同時に食べる機能も失われてゆきます。
今では、食事を一日でも長く口からとることの意味が重要視され、そのために原因の嚥下障害をどう克服するかが老人病院の大きな課題になっていて、かつてのように食べられないから、次はすぐに中心静脈栄養というのはなくなってきていると思われます。
そのころの自分のしてきた医療を思い出すと、患者様に申し訳なく思えるときがあります。もっと、違うやり方があったのではと思いますが、何しろ120名の受け持ちをし、同時に院長職をしていたこと自体、若さに任せて走り続けていたことの証明です。そんな自分に、再び監査の時期がやってきました。
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